詩音も悟史も、枠組みの中から、
あぶれて、しまっているのではないでしょうか?
詩音は、
園崎家、という枠組みの中から、
あぶれて
悟史は、
雛見沢村、という枠組みの中から、
あぶれて
「そもそも詩音という存在は、
園崎家にとって忌まわしむべき存在――」
詩音は、園崎家に対する愛着は薄いようです、むしろ
憎んでいる、と言っても良いでしょう
お姉は園崎本家を継ぐ跡取として――
私は、遠く離れた学校に幽閉され――
また、園崎姉妹の出生時のエピソードとして、双子はトラブルの元だから、
片方は絞め殺せ、という話が出てきます
結局、どちらも殺される事は無かったのですが、観音は
次期当主に、詩音は
遠い学校へと厄介払いをされ、
あまりな待遇の違いを生んでしまいました
殺しはしないが、園崎家の
表舞台に立つ事は無い
その様な、
園崎家当主の意思を感じるのは、私だけではないでしょう?
そのような扱いの差に、
深い劣等感を抱いたとしても、詩音を
責める事は出来ません
「それが
園崎家のやり方なんだろっ!!」
悟史は、生前に父母が
村内で虐められていた、と感じております
そして現在、その子供である、悟史、沙都子が、
叔父夫婦に虐められている、という事実に、
関連性――この不幸には
何らかの原因がある――と考えているようです
雛見沢村の御三家、といわれている内の、北条家、古手家の当主達に、
立て続けに不幸が起こり――彼らは
ダム建設反対派とは相容れぬ思想を持っていた――
それと共に、雛見沢村では園崎家の力が強くなっていった……
悟史は、そこに
何らかの関連性を見出したのでしょう
村から追い出されはしないが、
幸せに暮らせるとは限らない、その様な
何者かの意思を感じたとしても、悟史を
責める事は出来ません
思えば、詩音も悟史も、
家族という枠組みからも、あぶれてしまっているのですね
詩音は、
生まれながらにして、その
存在を否定され
悟史は、幼い身空で
父母を喪い
共に
幸せな家庭からは、
程遠い境遇にさらされております
生まれながらに、その
存在を否定される、これ以上の
悲劇が存在するであろうか?
自身の、
全存在を否定される、それだけの
悪意を受け続けて、成長した詩音
彼女の
屈折した思い、その
心に空いた大きな穴
そんな彼女が、
暖かで優しい、悟史に
惹かれたのは当然ではないでしょうか?
悟史に至っては、北条家自身が、
雛見沢村という枠組みから外されております
更にいえば、雛見沢村自身が、鬼が棲む、と
忌み嫌われていた、という歴史があり、最近ではダム建設反対運動での過激な活動により、
雛見沢村自身が一種のタブーとされております
これはつまり、連綿と続く、
弱者への迫害、であるといえるでしょう
雛見沢村は、
国という枠組みから外され(ダム建設により廃村に)
北条家は、
雛見沢村という枠組みから外され(村内の意思に背いた)
悟史は、
北条家という枠組みの中から外され(虐待がある家庭は、家庭とはいえない)
共に、
あぶれ者である、という事実
そこに、詩音は悟史に、
共感をしたのではないでしょうか?
詩音は、学校を脱走したので、おおっぴらに街を出歩く事が出来ません
そこで、
観音になりすまし、街に、学校に、現れます
悟史にとっては、
詩音のとった行動は、
全て観音のものであります
それはつまり、悟史にとっては、園崎詩音、という女の子は
存在しない、という事です
詩音にとって、悟史から向けられる、
親愛、
友愛、
敵意、
恨み、などの感情は、
詩音自身に向けられているわけではない、のです
そうです、それらは全て、
観音に向けられているのです!!
眼前の悟史が、感情をぶつけている相手は、
自分ではない、という状態
それは、どこか、
現実とかけ離れている状態です
つまり、彼女の想いは、
一方通行であり、仮に悟史から、その想いに対する答えを得たとしても……
それは、
観音に対するものなのです!!
それは、
園崎姓でありながら、
園崎を憎む、
自身の心と、
奇妙に合致するものではないでしょうか?
来週も楽しみです